友がみな我よりえらく見える日は
上原隆著「友がみな我よりえらく見える日は」
読了
ホームレス、登校拒否、独身OL、父子家庭、うつ病、リストラ、離婚、事故などなど
様々な形の劣等感に悩む人たちに著者が聞き書きの形で綴ったノンフィクション
劣等感にさいなまれ、自尊心が危機に陥ったとき、それぞれの方法で自分を励ましている
美談では終わらないと思うし、苦悩しながらだけどそれぞれの生き方があり、労わり方がある
時には人に助けられながらも
自分のことを一番よく知っているのは自分で
自分で自分を労わることは大切だと思う
特に印象に残った話は、「うつ病」、「容貌」かなぁ
「うつ病」では、本人の日記が綴られている
うつ病と診断されたとき
「原因はこれだったのかと思うと、そのことの深刻さに、ぼくは、これからの自分にある悲哀のようなものを感じてしまう。こういうことで、ぼくはずっとほんろうされ続けるのか?
心の奥の方のえたいの知れない動き、それがぼくには恐ろしくて仕方がない」
本人の不安と葛藤が綴られている
最近は挫折も失敗も、それが自分の経験なら自分を形成する大切なものだと思えるようになったという
本人が本当に受け入れられるようになったかどうかは分からないけれど、そう感じられるようになるにはたくさんの苦悩や道のりを要すると思う
私もいずれそう思えるようになりたいと思った
この本に出てくる人たちは一般的に見た「普通」とは違う生き方に見えるけど、
そもそも「普通」とは何なのか
考える機会になった
大半の人が想像する「普通」は実はほんの一握りで幻想なのでは
マジョリティかマイノリティかはあるとは思うけど
時代はどんどん変わっていくし
かつては一般的とされているように見えた終身雇用制度なんてものも今は留めていないし
そもそも「普通」はあるようでないのかもね
押しつけられた個人の「普通」に囚われて生きるのはもうやめにしたいなぁと思った
最近では「多様化」という言葉はよく出てくるし使うけれど
原型に「普通」があってそこからの派生が「多様化」とすると昔に形成された「普通」が大元に残っていることになる
でも昔の「普通」という概念は崩壊していて全く別物になっているとしたら「多様化」という言葉は使えない
そこまで多様化について深く考えたことはなかったなぁ、、考えるほど混乱してくる、、
本に出てくる人たちの生き方はその人たちにとってなんら変わりない日常で、その時代を生きる一人一人の現実だと思う
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